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梶原一騎の定理(2)~異端の女神

  • 執筆者の写真: vicisono
    vicisono
  • 2006年9月28日
  • 読了時間: 2分

※この投稿は2006-09-03に旧サイトの日記ページにあげていた記事を再編集したものです。


葉子はもともと少年院流が好きなんだよ、あの女はさ!金持ちのくせに、なぜか知らないけどそういう生き方の方が好きなんだ。〔島本和彦〕

あしたのジョーの方程式 島本 和彦 (著), ササキバラ・ゴウ (編集) 太田出版

白木葉子が少年院の慰問の演劇で演じたのは、『ノートルダムの傴僂男』のエスメラルダ。


エスメラルダというのがどういうキャラクターかというと、

放浪の民・被差別者であるロマ(ジプシー)の踊り子であり、無知で奔放な美女であり、ノートルダム大寺院の助祭長である独善的なフロローの煩悩をかきたてたがゆえに無実の罪で殺される悲劇の女。


(ディズニーのアニメ版は忘れるように。ラストの展開も恋人の警備隊長の性格付けも原作と全然ちがうから。そもそもフロローが聖職者ではなく判事にされているのがX。やっぱ宗教ネタはタブーなのか)


ブルジョワお嬢で、慈善をほどこす立場のくせして、こんな「はずれ者」ヒロインに自分をなぞらえたがるような女なんですよ、葉子は。


ここで特筆しておきたいのは、梶原一騎先生の御尊父・高森龍雄、星一徹のモデルともいわれる、梶原先生の「終生越えることのできなかった偉大な父」は、敬虔なクリスチャンだったという事実。


そういえば、ホセって父親ですよね。このまんがって、他に父親という存在は、あまり出てこないですよね。〔ササキバラ・ゴウ〕

「正統キリスト教の助祭長の隠された欲望の為に殺される、(キリスト教の側から見れば)呪わしい不信仰の輩であるジプシー女」の役を演じた女がヒロインにして物語のフィクサー…ということは、物語の大前提として「父への反抗」が隠しテーマとして存在するのですよ。


非暴力・不殺・右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ…という信仰に対して、「殴り殴られるボクシングの世界で、かけがえのない友を殺してしまった少年」を主人公にするという時点で、既に「父への反抗」なんですけど。


だから、ジョーの最後の戦いの相手が「良き父、良き家庭人」であるホセ・メンドーサというのは、必然じゃないかと。


(付記:そうそう、「父殺し」を行った結果「拒食」という呪いを受けた金竜飛というキャラもいましたね。 )

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