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  • 執筆者の写真vicisono

Off*Beat(オフ★ビート-BOY・ミーツ・BOY-)by Jen Lee Quick

更新日:2022年6月11日

※この投稿は2008-07-29に旧サイトの日記ページにあげていた記事に加筆修正したものです。



旧個人サイトでは2008年から2016年くらいまでの間、日本国外で描かれた日本漫画スタイルのコミック……英語圏ではOEL manga (Original English-language manga)と呼ばれていた作品群のレビューや出版動向の記事をかなりのボリュームで書いておりました。


そんなテキストのうち、鮮度の落ちた時評要素はオミットして、未だ情報価値がのこっていそうな個別作品紹介記事の一部を加筆修正して再アップしていこうと思います。


 

むか~しむかし、「グローバルmanga」なるものがありまして…


で、その第一弾がJen Lee Quick 作の "Off*Beat"


私がmangaスタイルの海外コミックを意識して読み始めるきっかけになった作品です。



北米における90年代後半から2000年代半ばのmanga、特にショージョmangaブームの立役者Tokyopop, Inc., が仕掛けた企画のひとつに、自社オリジナルmangaスタイルコミックの"Global Manga"というのがありました。 TPは2002年~2008年の間、Rising Stars of Mangaという新人コンペを開催。オタク系コンベンションでの持込受付や美術学校に出向いての新人発掘等の末、2005年から有望新人のオリジナルmanga刊行を開始。


"Off*Beat" はそのうちの一作であり、描きおろし単行本で英語版第1巻が刊行されたのが2005年9月、2巻刊行が2006年11月。

Tokyopopにソフトバンク社が出資していた関係からか、グループ内企業のひとつソフトバンククリエイティブからグローバルmangaの一部が翻訳されて電子書籍として配信され、"Off*Beat"も2007年2月23日から『オフ☆ビート -BOY・ミーツ・BOY-』のタイトルで日本語版が配信開始。



その後、この作品が辿る数奇な運命については後述するとして、まずは2008年当時に私が書いた紹介記事を再録します。


 

オフ☆ビート -BOY・ミーツ・BOY- あらすじ



ソフトバンククリエイティブ配信のTokyopop社バージョン

サブプロットは色々ありますが、枝葉を払った本筋は、「ナードの初恋」。


まず、主人公の人物造形が見事。

主人公のクリストファー・ブレイク(通称トーリ)は、なまっ白い肌にソバカスだらけ、ボサボサ赤毛のひょろっとした15歳の少年(ソバカス+赤毛は「未成熟」「不器量」の記号)。得意科目が物理で体育が嫌い。


…これで眼鏡をかけてたら完璧です。完全無欠のナード君です。最近変に持ち上げられているOTAKUじゃなくて、ネガティプな「おたく」。


このトーリ君は映像記憶能力の持ち主で、なおかつ記録魔。しかも全ての物事を分単位で把握しなければ気がすまない強迫観念にかられている。


現代っ子らしくパソコン少年であるにもかかわらず、大事な記録はアナログの日記帳にエンピツ書き。クロゼットには日記帳のギッシリ詰まった箱がいくつもしまわれている。

この日記(自分の感情については一切記載せず、様々な出来事を分単位で記録しているだけ)は、どうやら両親の離婚前後の精神的に不安定な時期から書き始めたらしい。


記憶力・観察力に優れている為、学校の成績はトップで教師等の大人受けはいいし、立ち回りは巧いので周囲と無駄な軋轢を起こすこともない。

しかし人情の機微にうとく、基本的に周りの人間は皆馬鹿に見えるので、友達らしい友達はいない。


しかも所々で倫理観が壊れてる。イリーガルな行為にスリルを感じているのなら、まだ若造らしくて可愛げがあるのですが、こいつは単に自分の興味を追求するに際して倫理のハードルが無効化してしまうだけ。


小賢しくて他人に対する思いやりに欠けるくせに、外面を取り繕うのは巧い。非常にイヤな子供です。このまま成長したらどんな大人になるのか、とても心配。


トーリの母親は「現代的な、都会のキャリアウーマン」なので、息子の内面に強引に踏み込むようなことはしないし、仕事も忙しいので息子の危なっかしい状態に気づけない。

「リベラルな友達母子」関係のつもりなので、息子にタンポンやら避妊用ピルやらを平気で買いにいかせるし、恋人がいることも隠さない。男の子には「異性に対するファンタジー」とか「母親という神話」は必要だと思うんだけどな…。



トーリにとって唯一友人らしき存在は、アパートの二階に住んでいる大学生のポールなんですが、こいつもやっぱりオタク。

唯一トーリの異常性に気付いている人間なんだけど、ちゃんとした大人じゃないので、トーリの奇行を知っても、止めない。止めないどころかハッキングまでしてトーリに協力する。


…で、こういう環境に生きている、こういうイビツな精神の持ち主のトーリ君の家の向かいに、一人の少年が越してくる。


その少年・コリンは東洋系の入ったエキゾチックな黒髪の美少年で、両親はなく後見人の男性と二人暮らし。

コリンは、魅入られたように彼を見つめるトーリを無表情に一瞥し、家に入る。




それだけ。一瞬視線が交差した、たったそれだけ。

コリンの方は次の瞬間にはトーリの存在なんか忘れてるだろう。


そんな「見初めの場」の後、トーリがどういう行動をとるかというと…

以後約一年間、コリンの行動を観察し、逐一日記に記録するのですよ。

向かいに住んでいるのに声をかける事すらしない。友達になるどころか、「知り合い」レベルにすらなろうとしない。一方的にストーキングするだけ。


トーリはポールに対して自分の行動の理由を「好奇心」「あいつが怪しいから」と説明している。トーリは意識して嘘をついているのではないでしょう、単に自覚がないだけで(実際コリンと後見人の生活ぶりはかなり不審だし)。


そして自分の存在を隠してコリンの行動を観察することに飽き足らなくなったトーリは、母親を言いくるめてコリンの通う私立校(片道2時間かかる)に転校する。

母親には「公立校は危ないから」ウンヌンと言い、ポールに対しては「おふくろが転校させたがったから」と言う(今度は意識的な嘘)。


で、コリンに近付く為に色々策を弄して小芝居なんかもしたりするんだけど、取り付く島もない。そこでトーリ君、どうするかと言うと、生活指導室に侵入してコリンの個人情報を盗み見します。あ~ぁ。



「見初めの場」から一年たっても、トーリは何故コリンの事がこれほどまでに気になるのか自分でも分からない。

アイツは他の奴と違うから、正体を突き止めなければ気が休まらない…とムキになる。



トーリ君、トーリ君。正体を突き止めなければならないのは、むしろキミの心に潜むモノの方だと思うよ…。


  • それまで身なりに構ったことなんてなかったのに、自分のくせっ毛が突然気になりだす。

  • ほんのちょっとコリンから愛想笑いを向けられただけで、パニックを起こす。

  • 二人っきりで帰宅するチャンスに恵まれたのに、何を話したらいいのかわからなくて間が持たずに気まずい思いをする。

  • 電話番号を教えてもらっただけで、周囲が目に入らないくらい舞い上がる。

  • 初めて電話をかける時、頭の中で何度も何度もシミュレーションをして、なのにいざ相手が出たら頭の中が真っ白になってしまう。

  • 手のひらを重ねただけでドキドキドキドキドキドキする。


トーリ君、キミね、傍から見たら唯の初めての恋に浮き足立つ他愛ないティーンエイジャーだから!ものっっっすごく判りやすい恋わずらいだから!相手が男の子だっていうのを除けば、一山いくらのありふれた青春の一コマだから!


…それだというのに、トーリ君はいつまでたっても自分の恋愛感情に気付かない。



自分がゲイだという事実に直面したくないってのもあるでしょうが、この子の場合はそれ以前の問題。頭でっかちのエゴイストだから、自分が恋をしているなんて理解できない、認められない。


誰かに恋するというのは、相手の魅力の前に屈服する事だから。

誰かを求めることで、自分の欠落に嫌でも気付かされるから。


自分の心をかき乱す存在に対して、自分の姿を隠したまま相手の情報を集めることで相手を「掌握」しようとするような奴に、決死の覚悟で相手に自分自身を差し出して、尚且つ一瞥もされず打ち捨てられる…そんな博打を打つ根性がある訳ない。


コリンはエキゾチックで美しく、大きな秘密を抱え、そして愛に恵まれず孤独でありながら、その孤独を意に介さない風に見える。どこか「非日常」を纏ったような佇まいの少年です。

トーリにとっては、白馬の王子でもあり、囚われの姫君でもあり、異界より誘惑する魔物でもありえる…。


日常の出来事は無味乾燥な「事実」でしかなく、「ドラマ」とはモニターの中のファンタジーだと思っているトーリのような少年が惹かれるとしたら、やはりコリンのような子だろうな、と納得できる。


もう、二人の出会いは「出会い頭の事故」としか言いようがない。



他人を愛してしまえば負け。他人に愛されてしまうのは身の不運。

…というような名言を橋本治がどっかで書いておりましたが、これはまさしくそんなお話。


トーリは物語の始まった一ページ目からずっと、周囲にも自分自身にも嘘をつき続けている。そんな状態がストレスにならない訳がない。案の定、母親やポール、クラスメイトとの関係がどんどんおかしくなっていく。


母親との関係の修復を図ろうとするトーリが、日記に「愛してるとか良くやってるとか言って母さんを安心させる」と書いて「問題解決の方法を検討」するのが、また何ともはや。

あくまでも、どのように「振舞う」べきか「頭だけで考えた」言葉で、心から出た言葉や行動じゃない。この子にとっての愛情表現や対人関係がどういうものか端的にわかるシーンです。


一方でコリンも彼の抱えた秘密故に、トーリに対して親しげに「振舞う」ようになる。

トーリは何かがおかしいと思いながらも、コリンに笑顔を向けられると、もうまともな判断ができない(お馬鹿な子…)。


トーリ君、トーリ君。キミとコリンの間にあるのは、嘘と秘密と孤独だけでしょうに。それでコリンと信頼や愛情を育んでいけると本気で思ってたの?



そして当然といえば当然なことに、嘘を基盤にした二人の関係が破綻を迎えたところで、第二巻END。完結編となる第三巻ではどういう展開になることやら。


「君の正体が何者であろうとかまわない。初めて君を見たときから、ずっとずっと君が好き」


この魔法の呪文を口に出来ない限り、トーリが自分で自分にかけた呪いから逃れることは出来ないと思うんですけどねぇ。



エキセントリックな主人公が片思いの相手に異常に執着して痛い行動を繰り返すお話。…のはずなのですが、語り口が淡々としていて、過剰なスキャンダリズムを感じさせない作風です。

キャラクターと作者の間にやや距離があって、その空間にノスタルジアの風が吹いているような。客観的に見たら、とてつもなく嫌な主人公なのに、不思議と不快感はなく、その無様な姿に共感と淡い哀しみを感じる。


米アマゾンのカスタマーレビューでも、「人物造形がbelievableだ(等身大とか、リアリティがあるとかいうニュアンス)」という表現で褒めている人が多いです。


人が思春期に直面する普遍的な感情の揺れと、現代アメリカの少年が抱え込む病とを、演説調ではなくデリケートな心理描写で丁重に浮かび上がらせているあたりがbelievableで、とても「少女マンガ」的。


登場人物の発する言葉(対外的な態度)とモノローグ(自己認識)と、演出から読み取れる深層心理との間のズレが生み出す緊張感、直言しないことによる曖昧さ、余情が「日本的な少女マンガ」なんですよ。



例えば同じTokyopopのリヴカー作『ガール×ガール 私をさがして…』なんかは、絵柄こそジャパニーズ少女マンガを模してはいるけれど、登場人物の行動と心理を一から十まで作者が説明してくれているお陰で「誤読」の発生する可能性は1ミリもない。作者の言わんとする事はウザイくらい良く分かる。その代わり、読者の「解釈の余地」も1ミリもない。

この徹底的に曖昧さを廃した語り口は、非常にアメリカ的。

あんましカテゴライズに拘泥するのもどうかと思うが、これって少女マンガというより、「アメリカン・ヤングアダルト向けグラフィックノベル」だよなーと思った(「だから悪い」とは言わないが)。



Tokyopopのグローバルmangaの邦題は、揃いも揃って劇場未公開映画のビデオタイトル並みに酷いものばかりですが、本作に限っては許せる範囲。


BOY・ミーツ・BOY。


ただそれだけのことで、現代アメリカのありふれた日常生活が「神話」になり、ナード君のヘナチョコな初恋が放逐された英雄のイニシエーションの寓話となるのだ。物語の力とはそういうものなのだ。


 

大団円への長い道のり


"Sparkler Monthly" jul. 2013 #001
月刊web雑誌 "Sparkler Monthly" 2013年7月創刊号

はい、ここから2019年現在の加筆分。

あえて直しませんでしたが、"現代っ子らしくパソコン少年"などという表現に10年の歳月を感じますねぇ…今はスマホ時代。


全3巻完結の最終巻は2008年8月に刊行が予定されていたのですが、2008年夏の北米mangaバブル崩壊によって刊行延期→無期限棚上げ→2011年5月にTokyopopは出版事業撤退……と完結のメドが立たないままズルズルと時間が過ぎていきました。


掲載誌の休刊や出版社の倒産等で作品が打ち切られるのは本邦でも珍しくはないので未完自体に過剰な同情をする気はないのですが、TPの場合は更に面倒な権利上の問題が付随しておりまして。


多くの作品が「著作権の50%を出版社が持つ」という出版契約を交わしていた為に、TPで打切られたから他社に持ち込むという選択肢が存在しない(仮にTP社が完全に潰れても、TPが保持していた権利は債権者が獲得するはずであり、漫画家にとっては余計にややこしい事態になる) 。 TPは「漫画出版なんて儲かる訳がない」と思っているから続刊を出すつもりは更々なく、しかし株主の手前、会社にとって知的財産権(IP)ビジネスの元である作品権利を安価で処分する訳にもいかずに塩漬けのまま抱え込み、漫画家が作品権の買戻しを打診しても個人レベルでは躊躇するような金額を提示する。


そんな膠着状態が続いた末の2013年春、クイック先生の元担当編集者Lillian Diaz-Przybylが有志と共に立ち上げたインディーズ出版社Chromatic Pressがかなりの大金を払ってTP社から作品の権利を買い取り、新創刊の月刊web雑誌"Sparkler Monthly"で完結編を連載すると発表。

2013年4月から既刊2冊の復刊クラウドファンディングを開始、出資者186名 総額$8,673を達成。同年8月から完結編を連載開始して、2014年4月にようやく完結。最終巻の紙書籍は描きおろしボーナス付きで7月に刊行。

2006年11月の第2巻刊行から数えて7年半後にして、大団円をむかえた訳です。


その Chromatic Press社も2019年秋に活動終了。いやほんと、10年の歳月ですねぇ……。



そんな訳で、Off*beat完結編の日本語版が出版される可能性を考慮して旧サイトでは3巻の内容ネタバレはしていなかったんですが、これを機にネタバレ含むレビューを加筆します。


公式の日本語版は2巻まで出ています。Renta!なら一冊100円ちょっとで読めますので興味のある方はどうぞ。


 

Off*Beat完結編レビュー


ガイアプロジェクトというのは、動物行動学者だったコリンの亡き両親が提唱していた理論に基づいて、社会学者のギャレット博士が進めているプロジェクト。


野生動物が本能として持つ感知能力は原子レベルで放射している固有周波数をもつ「パルス」を読みとっているのではないか。群生動物間、一個体、あるいは個体を構成する細胞間で交わされていると仮定されるパルス感知能力が、人間にも存在することを証明しようとする共同研究だった。


亡き両親の遺志をついだコリンはその研究に協力している……つまりは後見人であるギャレット博士から人体実験を受けている(だから感覚が過敏で人交じりすると異様に消耗したりする)。


コリンはトーリが自分を観察して詳細な記録をとっているのはプロジェクト成果の横取りを狙った何者かの意思によるものかと当初は警戒していた。だが、どうやら違うらしいと理解し、次に「自分が実験によって人為的に覚醒させようとしている感覚を、トーリは天然で備えているのではないか」と疑うようになった。周波の同調があればそれをキャッチできるかと思って試してみたが思い違いだった。


コリンは特異な環境で思春期をおくらねばならない孤独や、プロジェクトが頓挫し今までの全てが無駄になる恐れから、自分のつらさを理解できる「同類」に期待したという感じだろうか。


トーリ君は単なる無自覚の恋愛ストーカーに過ぎず、彼らは運命的な絆に結ばれた選ばれしペアなどではない。特殊能力による感応で自動的に意思の疎通が成立するような関係ではないのを二人ともに悟る。

ここに至って、トーリはストレートな言葉によってコリンに好意を示し、単なる無力で孤独な人間同士として寄り添おうとするのですが……。



この喪失をきっかけにして、トーリは自分の愛と性を受け入れ、無力を悟り、周囲と地道なコミュニケーションをとって関係を築き直す方法を学んで、危なっかしい思春期をどうにか切り抜けて大人への一歩を踏み出すことに成功します。


物語のエピローグに、若き科学者になったトーリがコリンと再会する場面があるのですが、この一連のシークエンスはこれまで作中でトーリの見る夢の場面に使われてきたのと同じ「コマ外をベタ塗り」で描かれているので、現実の出来事ではなくトーリの夢想と解釈すべきでしょう。


「巨額の支援を受けたので次のプロジェクトは大きな成果を出さなければならない」というコリンの発言と態度から、彼が心身に過剰な負担のかかる実験に参加するであろうことがうかがわれ、どことなく不穏な未来が予感されます。現実において、恐らく彼らは二度と会うことがないまま終わるのではないでしょうか。

(「初期構想ではもっとトーリにとって厳しい内容になるはずだったが、自分も年齢を重ねたせいか思春期の若者の愚かさに対して寛容になった」という作者の発言からもそのように推察できます)



思春期の不安定な若者たちの心が一瞬だけふれあって、擦り傷のような痛みだけを残して終わる。そして大人になってからも、折に触れ、「あれは何だったんだろう」と反芻する。たったそれだけの、しかしかけがえのない体験を描いた物語。


Offbeatという作品タイトルにふさわしい、ほろ苦く静かなクロージングは、新創刊雑誌の目玉連載としてはいささか地味過ぎたかもしれません。けれど、ビジネス面を考えればFireworks(打ち上げ花火)を用意したくなるところで、Sparkler(線香花火)のように「細やかな人の心」を大切に描いた作品を看板に据えた編集者の選択は、メインストリームのコミック出版社が扱わない女性向けエンタメをサポートしようとした志として称賛したいと思うのです。



 

アンド・ナウ…


後知恵であれこれ考えると、もう少しコマを詰めて全二巻構成にしていたら、Tokyopop時代に佳作としてもっと評価され、そこから商業漫画家としての更なる活動につながっていったかも……などとおもってしまいますが、それは今更いっても詮無いこと。同期の「グローバルmanga」の多くが未完に終わり、OEL-mangaという言葉も死語と化した後に、紆余曲折を経て初期構想の全三巻で完結できたのですから、これが幸福な作品であることは間違いないはずです。


「グローバルmanga」の作者たちの多くが、マーベル・DCなどのメインストリーム出版社の作画に移行したり、ゲームグラフィックやイラストレーションなどの仕事に転向して漫画制作をしりぞいていったりする中、 Jen Lee Quick は大きくスタイルを変えないままウェブコミックを描き続けています。


作家本人が自作の多言語化に対する興味が薄いので、Off*Beat完結編も含めて日本で公式翻訳が出る可能性は低そうですが、Chromatic Press社で連載途中だった諸作もおそらく他のプラットフォームで継続されるでしょうし、(レビューを書くかどうかはともかく)今後も一読者として追っていきたいとは思っています。




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